2010年、「世界タンゴ選手権、日本人が優勝」で書かせて貰いました。
ヒョンなことで今年のニュース画像が目に入ったG。
疾うに忘れたことを思い出したようです。
『ブェノスアイレスでタンゴを踊る』夢を夢で見たようです。
「この非日常性こそ芸術の条件の一つと確信している」そうですが私以外には言っていません。
『ワオ〜ンワンワン(ばらしちゃった)』
  

<タンゴ世界選手権/8月25日準決勝/8月29〜30日決勝戦>等で画像があります。

  Gはミルバとピアソラの「チェ タンゴ チェ」がお気に入りなのです。入院中も時々聞いていました。


 Gは「育児・育自」に引け目を感じています。「自己中心性」を十分潜り抜けていない「親」であったことを悔いているのです。その教訓を私の「躾」に活かしているのかも知れません。

  歯磨きも大変な「葛藤」を要する日課です。

就寝時の「読み語り」でページを飛ばしていたGは、恥ずかしいと思っていましたが本当に未熟な親であることに気づき、後輩には『私のような関わりはダメよ!』と話ています。
しかし、『長男を膝に抱いて自分の本を読んでいたら、泣いて愚図りやがて抜毛を始めたので「これはいかん!」と真剣に1時間遊んだものです』と話す教育学者の言葉に胸を撫で下ろすと言うか「自覚者が責任者」を噛み締めているようです。

  

朱鷺君と朱雀君と仲良くしています。可愛いけど忙しなくてチョット疲れます。
 2011年9月3日、16:00過ぎにGは「脳出血」で倒れました。私と一緒に出かけていて、救急車で運ばれました。雨降りで私は車の中で待っていましたが、Gが『風吏が車の中にいる…』と話してくれてT君が迎えに来てくれました。…

  早朝の利尻富士です。

Gとお母さんは1〜2日、札幌での障害者問題の学習会に参加しました。が、私はエルちゃん家でお留守番。愛知からお姉さんと息子2人が来るので、迎えの車が満員になるからです。

エゾニュウも色づき始めています。

3人の到着で賑やかな家に様変わりしました。機会を見つけて報告します。

  「アーム・バンド」の新作です。

入院中、右手の腫れが取れなくて腕を吊っていたGは、病院から「アーム・バンド」を紹介されました。職場に隣接していた「学童保育所」のKさんにお願いしてオリジナルを制作して頂きました。右が1作目、『Gさんらしいのって考えて柄を選びました』とのこと。初めての色柄に「未知の領域に飛翔し」たように感じて気に入ったものです。
真ん中の縞模様、左のハート柄のデニムに赤い裏地の2点が新作です。Gは満足しています。

<「既知から未知への飛翔」作家竹西寛子が…次のような趣旨のことを書いていました。
 「聞書き」は、聞き手が対象についての既知をもとに,既知の領域を確かめながら未知の領域に飛翔し、そこで引き出した対象の言葉の現実を読者に知らせる作業である。そして、そこで必要とされるのは聞き手の直観力と想像力である。…略(もっと引用したそうだけれど)…「子どもに学んで語り合う」茂木俊彦著>札幌の学習会の収穫のようです。

 開会式にスティーブン・ホーキング博士が様々なメッセージを送った。
自らも難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患いながらも研究を続けた同博士は『知識における最大の敵は無知ではなく、知っていると錯覚することだ』と語った。そうです。
また、『人は皆違い、基準や普通の人間などというものはないが、人としての魂は同じように持っている』と強調した。とも伝えています。『その通りですヨ』とエルさんも!

          

「障害者スポーツ」ってなんでしょう。「障害者アート」っていうのもあそうです。
でもGに語らせたら大変です。「人は皆違い、基準や普通の人間などは無く、魂は同じ」なのですから「アートはart」だと言ってます。身体障害者のartと知的障害者や精神障害者のart、「健常者」のartを区別する根拠はあるのでしょうか?その区別は誰のため・何のために必要なのでしょう。と続きます…。
スポーツも「メダルの色」を問題にするのは二の次三の次のことなのですね。

          
『決まってるじゃない、人間は分ってない!』とエルさんも言ってるみたい。Gの「メンコ」だからかもね〜。 
 近所に住んでいる桃ちゃんです。散歩の行き帰りにママさんやお姉ちゃんと寄ってくれるようになりました。お母さんがオヤツをあげてウッドデッキにのってきてくれました。
「お座り」をして、オヤツを待ちます。

           

 

Gをお見送り。私の前足を見て下さい。『行ってらっしゃいませ』って気持ちが出てるね!

夕方、散歩に行ったGですが、「歩行訓練」と「お花見」を楽しんで来たら…『真面目にやったら』と言われていました。『ワオ〜ンワンワン(??…お花奇麗ね)』