Gは<ショパン「夜想曲」第4番>を聞いています。珍しいです。
クラッシックもショパンもですが、好いんじゃないですか。
「見える学力見えない学力」が話題になったのは30年以上前のことです。
「見える障害見えない障害」も障害理解にはキーワードの一つでした。
<芸術はすべて音楽に憧れる>とは形を持たない目に見えないことの「不自由な自由」のことを指しているのでしょうか。
「表現とは生きる事そのものでArtにつながってCreativeなもの」〜縄文土偶〜
Gは認識を強調して来ましたが、表現の意味を再認識しているようです。
『「教え子」、何を教えて来たのかと考えると適切な言葉でない事は明らかです。やはり、[ 共に生きているから仲間(人間)] なのでしょう。表現に携わる即ち生きる事が『しごと』でいたいと思うのです。』
『ワン ワォ〜ンワン(だそうです。)』

  「舘野泉ピアノコンサート」。
10月20日に深川に聞きに行くんですよ。Gの画期的な<一人旅>の挑戦です。
 為書きのあるサインなんて、どうしたことでしょう。
『そんな趣味あったの?!』とはお母さん。『…うぅ〜ん…』とG。

  
以前、この本の「面長組合」の一節を紹介しました。
 「宇野重吉先生」の一節…私にとっては生涯の師である。私淑しているといった方が正確であろう。師を語るについてためらいがないわけでない、おそれがある。それは師を矮小化することになりはしないかという…
 <「カア」と鳴け><はじめてのダメ><思えば出る>をGは繰り返し読んでいます。

       

 師は頑に普通の芝居を追いつづけておられる。本当に頑に。
普通では出来ない強靭な意志でーーー。
 <離見>、これは天才にして出来ることだ、世阿弥にして言えることだ。いや、人間に出来ることではないかもしれない。だからこそ、そこを目ざすのだ。これは理想なのだ。役者はそこを目ざし目がけて、そして道なかばで倒れて死ぬのだ。不可能だからこそ、そこを目がけて…目ざしつつ倒れる…壮絶な言葉だ。
 普通にいう(え)、思えば出る、というやわらかい響きの言葉の裏には、この壮絶な意志がひそんでいるのだ。
 師とは遥かなるものだ。乗り越えたり,追いつくべき目標ではない。遥かなものーー。

兄弟


 Gの長女(私が次女?)の長男<朱鷺Toki>と次男<朱雀Suzaku>デス。
『なんか、母ちゃん怒ってるよ!?』だって。

  

兄・3歳4ヶ月、弟・11ヶ月。
『ナイス・バディ!』との喚声はMさんの奥さんです。


 パブロ・カザルスが、祖国カタルーニアの民謡「鳥の歌」のチェロ用編曲を完成したのは、祖国を去ってフランスのプラードに住んで3年目の1942年でした。原曲はキリスト誕生を祝う鳥たちのよろこぶさまを歌うクリスマス・キャロルでした。彼はこの単純なメロディに、悲劇の祖国に寄せる熱い思いと、同時に祖国と世界におくる平和のメッセージを歌い込めたのです。
1945年初演、以降演奏の最後に必ずこの曲を奏でていたことは有名です。
Gは久しぶりに聞いていました。繰り返し。

  何の実でしょうか?小さい実です。

 3人で散歩に、時々Gを待ちながら。

  北海道犬の太郎君に挨拶しました。

太郎君、Gを覚えていて手をペロペロ舐めていました。(内緒話「近所の人を◯◯だって」)
連休の「お出かけ」の様子はやんちゃ娘エル蘭日記を見てね!

 巷では「3連休」と言ってる人もいます。私はお母さんとお出かけしました。
後日、報告致します。Gは一人でお出かけしたようです。

  私のいないウッドデッキは淋しい。

 抜海駅で普通列車を見送る。 

  Gの好きな風になびく落葉松の木立です。

  車の中で描いてるナ?空気に触れなきゃダメ!

 今日1番のお客さんだって言われて 

 アールグレイの紅茶に美味なるすももです。

 障害のない人と同じ目的を達成するために違う方法を用いることを「合理的配慮を提供する」といいます。…何もせずに「障害があるからダメだ」とすること、すなわち「合理的配慮の不提供」は、「差別」になります…。「障害者差別禁止法」制定の準備がすすめられているそうです。「差別禁止法」は「差別」があるからつくる必要がある。しかし、めざすものは障害の有無で分け隔てされることなく、共に生きられる「共生社会」の実現です。