お母さんが急遽、札幌に出かけることになりました。で、私はエルちゃん家、Gはショート・スティです。(日程が重なってgood!)
    
 
蘭ちゃんがカラスをみてる。
 
            
 
蘭ちゃんを追いかける。待て〜。
 
  
 
コメントそのまま。『蘭ちゃん、御免なさい。』お母さんとGが謝っています。
 
        
 
「ら・ぷらーさ」のクリスマス・ツゥリーです。
 
   
 
利用者が帰った後、療法士スタッフが清掃しています。感染症予防の消毒・洗浄です。
『寡黙なる巨人』はこういう活動をもジックリ考えさせる力があるそうです。
Gが入浴していて、鏡に裸体を映して『太ってるなぁ』とお腹を撫でて言った。
すると、『太っててスイマセン!』と、隣の介護士さんが叫んだ。
『俺の事だよ。』と応えたものの、ややあって笑ってしまいました。<口は災いの元?>
それでGは『太った女性はステキですよ』と言いかけて、「◯◯◯◯◯」画家の名前が出てこない!慌てて前言を飲み込んだ。それからは、出てこない画家の名前を思い出そうと必死。
夜中に目が覚めて、「アレも違うコレも違う、時代はバロック、代表作に「三美神」、ルーブルに彼の大作の部屋がある…」、出てこない。翌朝ついに、お母さんやお姉さんに電話までしてしました。
お姉さんから[ルーベンスじゃない?]とメールが来て一件落着。
 
クリックで挿入 クリックで挿入 クリックで挿入
 
因みにルーベンスの作品(添付の方法が分からない)、ほんの一部です。
 先日、<「トヨタのCM」で北防波堤が使われていた。>ということで早速スナップを撮りにいったGですが、実はその前から気にしていたCMがありました。
           
 
これです、これです!
『ワォ〜ンワン(わかります?)』
<YOKOHAMAタイヤのアイスガードスタッドレス>のCMです。
Gは大先輩のKさんが長年描いて来た、釧路湿原から大楽毛の本州製紙工場を遠望した風景に
酷似しているので目を凝らしていました。(CMは勿論動画です。)
ところが、検索の結果、「北海道苫小牧の弁天沼」が判明しました。
『う〜む…』と複雑な表情。
 
         
 
本を薦めることは難しいものです。
読書に「早過ぎた」、「遅過ぎた」ということがあるのでしょうか。あるかも知れません。
何としても受け入れられない、拒絶し合う関係の文章があります。でも、享受が適う条件、「運命的出会い」みたいな事もありますね。
友人の『生きかた』がこの本を薦めたのだと思いました。
「蛇の喉から光を奪え」(一点の光も見えない蛇の喉のような絶望の闇からも一筋の希望の光を見つけて生きよ)の激励に応えることばがありません。とのことです。
昨日の「雪景色」。『綺麗、稚内では珍しいですよネ』 とディサービスのお姉さんも言っていました。風がなかったんです、1日中。梢に雪が積もっている!<写真はお母さん>
   
 
ふんわり。「綿アメ」みたいですね。
 
            
 
で、今日はこんな感じ、「どんな感じ?」
「演歌と古典文学」のつづき。(『なにこれ?』お母さんには不評です。私も…)
《さて、これも有名な、美空ひばりの「みだれ髪」の、3コーラス目のはじめ、
    春は二重に 巻いた帯
    三重に巻いても 余る秋        という箇所。 
ここについては、同じシリーズの中で、作曲家の船村徹が、作詞家の星野哲郎からこの歌詞を渡されたときに、「ここがすごくいい」とやたらに褒めたら、「そこばっかり褒めないで、他のところも褒めてくれよ」と抗議された、というエピソードを披露していた。…
つらい恋のために痩せてしまった自分をこのように表現するのは、いかにも星野哲郎の歌詞らしく本当によくできていて、(ワタクシ的には)星野哲郎作品のベスト3には確実に入れたいと思っている。
ところで、『万葉集』を調べていた◯◯から、「これ,どう思う」といって、次の歌を示された。 巻四・七四二の大伴家持の歌である。
   
   一重のみ 妹が結ばむ 帯をすら 三重結ぶべく わが身はなりぬ
 
新古典大系の現代語訳=あなたがただ一重にだけ結ぶ帯さえ、三重に結ばねばならないほど私は痩せてしまいました。
たしかに発想としては「みだれ髪」と同じといえそうである。
新古典大系の注によれば、この他にも、巻九・一八〇〇の田辺福麻呂の長歌の一節に
   白栲(しろたへ)の 紐をも解かず 一重結ふ 帯を三重結ひ
      苦しきに 仕へ奉(まつ)りて
<白い衣の紐も解かずに、一重の帯を三重に結ぶまでに痩せて,苦しいのによくお仕えし奉って> 
とあり巻十三・三二七三の相聞歌のなかにも、
   二つなき 恋をしすれば 常の帯を 三重結ぶべく わが身はなりぬ
<世に二つとない恋をしているので、普段の帯を三重に巻かねばならぬほどに私の身はなった> 
という歌もある。とすれば、帯に託して、自分の身が痩せた事をいう表現は、『万葉』以来の伝統ということになる。
星野哲郎が、直接『万葉』に学んだかどうかという事は、阿久悠の例に照らしてみてもよく分からないところだろうし、詮索する事にさほど意味があるとも思えない。
むしろ、現代の演歌の歌詞(どれも恋歌=相聞歌である)が、こんなところで、古典文学の発想と深くつながっている、というところが重要なのだと思う。》
 

 

 先日、ディ・サービスに行って「なぞなぞ」のプリントを覗いたGが首を傾げていました。
「新聞の中にいる鳥はなんですか?」「山にも里にもあって町に無いものは?」とか。
元々、ユーモアとかウイットに欠けていたのですが「関係性」の理解にも繰り返しが必要になって来た事を『困ったものだ』と考えているようです。A=B、B=C、A≠C ?or A=C?
 
           
 
桃ちゃんと朝の「お務め」です。
双方のお母さんから「◯◯◯」を貰います。<「太るんじゃ無いか」とGは心配顔です。>
トヨタのCMに「北防波堤ドーム」が使われているのを発見しました。
 
        
 
 
Gは早速行ってみました。なんと、散歩コースとして活用する人々。
 
        
 
色々、活用法を考える事は大事な事だ。
《阿久悠が作詞して森進一が歌った「北の螢」(作曲は三木たかし)には、とても激しい内容がある。
    山が泣く 風が泣く 少し遅れて雪が泣く
    女いつ泣く 火影が揺れる 白い躰がとける頃
    もしも私が 死んだなら 胸の乳房を つき破り
    赤い螢が 翔ぶでしょう
    ホーホー 螢翔んで行け 恋しい男の 胸へ行け
    ホーホー 螢翔んで行け 怨みを忘れて 燃えて行け 
ここの、『胸(の乳房)から「螢」がとぶ』という表現に関しては、以前から、平安時代を代表する女流歌人和泉式部の次の歌と関係があるのではないかと言われて来た。
      男に忘られて侍りけるころ、貴船にまいりて、 ※侍り=はべり
      みたらし川に蛍の飛侍けるをみてよめる
      もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出るたまかとぞみる
  (私訳=男に忘れられてつらく思っていた頃、貴船神社に詣でて、
      その近くを流れる御手洗川に蛍が飛んでいたのをみて詠んだ歌
      男に捨てられたつらさのために、物思いにふけっていると、沢のあたりを
      飛んでいる蛍も、私の体からふらふらと出ていった魂かとおもわれる。)
この歌は彼女の代表歌のひとつだから、少し古典に詳しい人ならすぐに気がつくところだろう。
ただし、作詞した阿久悠自身は、作ったときそのことを特に意識していたわけではない。が、あとで人にそういうことを言われ、「そうか、自分の発想は和泉式部という平安時代の歌人といっしょだったのかと思ってうれしかった」というふうにコメントしていた。…
…ついでに言えば、阿久悠自身はそこよりも、最初の
   山が泣く 風が泣く 少し遅れて 雪が泣く
ここの「少し遅れて 雪が泣く」というところが、会心の出来で、気に入っている、というように話していたはずである。》〜[俳号は三七丸のblog]から…「演歌と古典文学」〜
     
         
 
今日も昨日も 重い雪雲 陽が薄い
『ワンワンワオ〜ン(混乱してる〜)』

   

 

 「爆弾低気圧」のWパンチ被害が全道に広がっています。記録的暴風雪・竜巻、大規模な停電に加えて交通機関の混乱が続いています。
私の家でも停電にストーブのトラブルが重なってチョット大変でした。Gは「忘年会」を中止、「きずな」出勤を見合わせました。お母さんは「雪かき」に大奮闘です。

  
『腰ベルトを忘れた』だって。
私は雪玉を投げてもらって遊ぶのが大好きです。

    
        

最高裁裁判官の国民審査が衆院選と同時に行われます。10名の裁判官について、「審査」するには相応しい情報が乏しいとGは考えています。そんな折り第2小法廷ではありますが最高裁判決がでました。「国公法弾圧事件」「政党機関紙配布事件」(同じ二件の事案であるが問題の捉え方によって名称が異なっている)に対して有罪・無罪の分かれる判決が確定しました。2名の裁判官の補足意見、反対意見も報じられていました。
Gは日本の司法の在り方にも疑問を口にする事があります。とりわけ憲法判断については日本国憲法に照らしたいるのか、「改正自主憲法」に阿(おもね)っているのではないかと憤りを漏らすことがあります。